「椎間板ヘルニア闘病記」身体の不自由さを経験し私が得たものは…

椎間板ヘルニア

椎間板ヘルニアになって
3年半ほど
寝たきり状態になった経験から

得たものがたくさんある

得たもの
・寝たきりになったことで
 病気の人の気持ちが、
 実際に理解する事
ができる

・つらい経験は心を育てる事が出来る

・つらい経験こそ人の気持ちを、
 より感じれる
様になる

人の優しさに気付くことが、
 よりできる

このような事を得れたのである
最終的に得られるまでは 時間がかかったが
ツラい、苦しいばかりではない

もちろん、どんな病気でも
ならない事に越したことはない

しかし
病気になってしまったのなら

その事が
自分に どういう影響を与えるのか

どういう自分に 変わることができるのかを
考えないといけない





「椎間板ヘルニア闘病記」身体の不自由さを経験し私が得たものは…

椎間板ヘルニアとは

椎間板ヘルニアとはどんな病気なのか
文章と、図で説明すると

ヘルニアの一種であり、
(図③)椎間板の一部が正常の椎間腔を超えて突出した状態である。

椎体と椎体の間には人体最大の無血管領域と呼ばれる
(図②)椎間板が存在している。
椎間板は中央にゼラチン状の髄核、周囲にはコラーゲンを豊富に含む線維輪から成る。
(図③)この髄核や線維輪の一部などが突出した状態
椎間板ヘルニアである。

Wikipediaより 抜粋
背骨を横から見たMRI画像 


1… 椎骨ついこつ (または脊椎骨せきついこつ
  〈脊髄せきずいの分節をなす個々の骨の事〉

2… 椎間板ついかんばん
  〈椎骨ついこつ椎骨ついこつの間にある
   ゼラチン状のもの
   骨と骨とのクッションの
   役割をしている〉

3… 椎間板ついかんばんが、はみ出して神経を圧迫
   している箇所
  〈椎間板ヘルニアの部位〉

図(3)の
椎間板ついかんばんが、はみ出しているところが  
腰椎ようつい 椎間板ついかんばんヘルニア』 の部位である。

椎間板ついかんばん(ゼラチン状のもの)が、
はみ出る事によって

骨の周りに流れている神経を圧迫し
痛みを引き起こす


脊椎せきついがあるくびから腰まで、
どの場所でも発生する可能性がある

しかし、ほとんどの場合 
腰の部分で起きる事が多い

発生した場所や、
椎間板の出た量などによって
痛みや しびれ などは違いがある

勿論、治るまでの日数にも関わってくる

椎間板ヘルニアには
★ 突然発生するタイプ と 
★ 慢性的にじわじわ起きるタイプ
がある

ちなみに私の場合は 
突然発生したタイプの方であった…

椎間板ヘルニアというものが
どういう病気かわかってもらえたかと思う

突然の痛み

私の場合は、学生時代の話になる
沖縄での3週間弱予定の合宿2日目 
悲劇に襲われた

激痛が走るまでの数秒前までは
健康そのものだった
(合宿所の階段を
 走りおりていたぐらいなのだから)

集合場所の部屋の入口

入ろうとした瞬間
雷が腰に落ちたかの様な
激痛が背中全体と左足

走った…

一瞬、身体の時間が止まった…

この日から 世界が一変した
私の激痛生活が開幕した

激痛生活 病名 診断までの 道のり

診断までも時間がかかった

合宿所で結局痛みに耐えきれず
救急車で運ばれたが

最初の診断
坐骨神経痛… との診断だった

沖縄の離島では詳しく調べる事も出来ず
先ずは 信じるしかなかった

合宿所に戻ったところで
痛みも引かず
自宅に帰る事になった

自宅に帰り総合病院を3つほど行った

総合病院ともなると
検査をしましょうと言われる
病状からMRIを撮るといわれるが

MRI検査は
上向きで動かず数分間
じっとしていないと撮る事ができない…

しかし痛みでじっとしていられない…
まず 上向きに寝転べないのだ…
しかも足を曲げる事もダメで直立状態で
寝転ばなくては撮れないとの事
とにかく痛いからその体勢は
絶対に無理なのである

結局 撮れず

病院の先生に撮れない事には 
診断できないと

何故か怒られる始末…
先生に文句を言うことなど無かったのにだ…

体勢で言うと
横向きで背中を丸めている状態が
一番まだ マシなのだが
それでは撮れないらしい…

結局 総合病院では見てもらう事も
出来ずだった

家の近くにスポーツ整体専門の接骨院があり
いいらしいと聞き
行く事になる

接骨院でも坐骨神経痛だろうと言われ
電気を流したり
身体を伸ばしたりと少しの間 通った

しかし痛みが引くどころの騒ぎではない
まっすぐ背中を伸ばして
歩くこともできなくなったのだ

接骨院にも行く事も やめるしかなかった

自分が一体何の病気なのか
坐骨神経痛はこんな痛いものなのか

不安しかなかった

寝る事もなかなかできず
ご飯も食べることが出来なくなっていった

そんな日を過ごしていた時
知り合いの方の旦那様が
鍼灸治療と理学療法士をされていて
私の倒れているうわさを奥様から聞いて
見てあげると言ってくれた

その頃の私は、病院でも見てもらえず
原因もイマイチ解らずで
お医者さんというだけで
少し恐怖を感じていた

でも知り合いの旦那様だったので
見てもらう事になった

家に来て下さり
現状を伝えた(体の痛い場所 等)

そして下向きに寝転がり
先生は柔らかく背骨あたりを触診

上向きに足を曲げて寝転がり 
足がどの位まで上げることができるか など

診察と言っても、現状の話と 簡単な触診、
身体の簡単な動きだけだった

そして先生の口から出た言葉が
腰痛椎間板ヘルニアで間違いないとの事
●番目と●番目から出たのだろうと

聞いた事もない病名だったが
図に書いて説明して下さった
説明で自分の身体がどうなっているのかを理解した

原因として言われたのが
普通(一般的に)背骨は
湾曲しているが
私の場合 湾曲がほぼしていない
(凹みがある部分がほぼ無い状態)

背骨が湾曲していることで腰への負担が
分散される
らしい

しかし私の場合、入っていた専門学校が
スクーバダイビングの
インストラクターになる学校だったので
重いタンクを持つ際に 膝を使わず腕と腰で
持ち上げていたから
負荷がもろに腰にきた

その積み重ねで一気に椎間板ついかんばんが出た
と話された。

原因が(病名)がわかるだけで先ずは
本当に嬉しかった
事を思い出す

自分の体がどうなって
痛みが出ているのかも
何もかもがわからない恐怖程
怖いものは無かった
からだ

色々なところに
色々な病院が沢山ある現代

しかし いくら病院の数があっても
しっかり診断をしてもらえなければ
病院に行っても意味がない


どれだけ良い先生に出会えるか
見つけられるか
しかないのである


私の場合
有難い事に良い先生に出会えた

痛みが出てから3か月以上も経っていたが
嬉しい事だった

リハビリ 鍼灸治療 開始 
その中での 気付き


痛みでほぼ歩けなくなっていた私だったが
少し光がみえた

身体には床ずれもでき
体重も10キロ以上痩せてしまっていたが

次のステージへと進む事が出来る事に
嬉しさがあった

まずは固定する事
腰につける骨盤ベルト



固定することによって少しは痛みも
マシになる


お風呂で温めると痛みが増す為 
毎日身体を拭くしかなかった
(座っては入れない
 現状だった理由もある)

髪の毛はお風呂場の入口に寝転んで
(頭だけお風呂場に入る感じ)
シャワーで手伝ってもらい洗う

トイレも座れない
何もかもが できなくなった

自分自身で
人間の進化を見ているような感じなのである

腰が伸びて歩けるまでの期間

寝たきりで始まり
次は 四つん這いで
次は 腰を曲げてのゆっくり歩行
少しずつ 腰が伸びられるようになるまで 

椎間板ついかんばんが出てしまった場所は
少しずつ身体に吸収されていくとの事だった
そして固まるのだそうだ

固まるまで約3年ほどはかかるから
少しずつ筋肉をつけて
保護していかなければならない

痛みによって筋肉も無くなり
身体中のコリもひどかった

痛み緩和とコリをほぐす鍼灸と
リハビリとして私の身体に沿った
運動指導と食事指導が行われていった

歩くことも少しずつではあるが
ノルマを決めてもらえた

最初は50歩からスタート
最終3000歩でという目標

50歩がこんなにつらいとは思わなかった
とにかく歩けない
10歩がつらいのだ

家の近くのプールにも通った
プールで歩く事は 
腰への負担も少なくて済む
しかしプールも最初は本当に歩けない

何もかもが出来ないが
光を失うわけにはいかなかった

毎日の何気ない当り前行動が
すごい事だったのかと
気づいた



当り前な事が
当たり前でなくなってから
有難さに気付く



もちろん心の葛藤は
日々あるが
どうしようもない

周りの友達は前に進んでいて
自分だけが取り残されている事は
否めない事実としてもある

しかし
メールをくれたり 
リハビリに付き合ってくれたり

人の優しさに触れた事も大きく心が
動かされた事に変わりなかった

家族は勿論の事ながら
友人にも優しさをいっぱい貰った

初対面の人の優しさを感じることが
出来た事も沢山ある

沖縄からの帰りの飛行機でもそうだ
乗務員さんが2席使わせてくださり
何度も声をかけてくださった
安心感を下さった

そして到着空港に着いた時も車いすで迎えにも来てくださっていた
(痛みで椅子に座ることが出来ないから
 使用できなかったが)
出口まで肩を支えて歩いてくださった

歩く練習を家の前の道でしていた時も
色んな人が声をかけてくださった
プールでも色々なおじさんやおばさんが
色んな話を聞かせて下さった
(プールに通っていた時間が
 昼間が多かった為)

その時だけの関係だったけれど
人の優しさを沢山感じることができた

優しさは 溢れていた

得たもの

何故 自分がこんな時 こんな事になるのか
何故 今なのか

という疑問は心の中にあった

専門学校の最終テストの合宿で
合宿前には細かいテストも合格していてで
何故今…
ずっと考えずにはいられなかった

そんな時
ある実話本を読んだ 

文中で、
『神様は 私が乗り越えられると 
 信じたから与えられた試練…』
という事が書かれていた

神様がいるのなら何故助けてくれないと考えていたこともあり
この言葉で なんだがすっきりできた

そう考える方が心が納得し楽になれた

そして私自身に心を向けた
病気になって 人の優しさや 
自分の心の動きがどれほどあったのか

今はまず何が出来るのか
どう感じたからこそ、どう過ごすべきなのか
と考えるようにした

日々の感謝をもっと持たないといけない
人がしてくれた優しさには
他の人にだとしても優しさで返していかないといけない

と考える様になった

約3年半ほど痛みとリハビリに費やしたが
この経験が
その後の私の動きを変える事にもつながっていた

友人が入院した時、家族が入院した時
叔母の看護・介護をする時



困っている人の表情にも気付く事が
出来る様にもなった

元気な時、当たり前にできる事が出来ない時の
気持ちを経験したからこそ 
より理解することが 病気後の
私の人生には必要だったのだと思う

後日談

一度目のヘルニアになり、1年ほど経った時
少し痛みがマシになった

しかし半月も経たないうちに
また足に違和感を感じ
再度見てもらうと

2度目のヘルニアになっていた

治ってから先生が教えてくれた事がある
二度目の方が 酷い状態で
歩けなくなる半歩手前まできていたとの事(一生車いすで痛みが常にある状態)

先生の知り合いの病院に連絡を入れ
緊急手術の手配まで
済んでいた事
それを父には話していた事

足の指に麻痺が来ることが
普通の容態であったのが
来なかった

それを聞いて驚いた
大難が小難になっていた
守られてのことなのだと

有難い気持ちを
元気になったら
忘れがちになるが
常に持っていられる自分になりたいと
今も尚 思う

常、日ごろから思える自分になりたい

病気だけでなく どんな経験からも
学べるのだから
自分の心と向き合って
学ぶしかない


どんな経験も、失敗も 
自分にとって何か意味のある事だとも思えるから


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