病気になる前(看護・介護される前)に絶対に取り組んでおくべき事!

伝えたい事

今現代、2人に1人はガンになる
認知症も5人に1人はなるとされている

この確率をどのぐらいの人が認知し
備えているのだろう

お金や保険の話ではない
もっと大切な事を備えてほしい

今後、看護 介護をされる
可能性もある 
私を含む あなたへ

末期がんを宣告され認知症でもあった叔母の
看護・介護を経験したことによって
結論が出た

お礼、感謝、心配り、笑顔
このどれもが日々の生活の中でいかに
重要な事なのかという事

今からでも絶対に取り組んでおかなくてはなくてはならない事なのだ

遅くはない
今日から始めていけばよい

今を生きていく中で何が大切なのか
その事を私の経験談を元に考えてほしい

看護・介護 経験後の疑問

約10年の看護、介護を経験し
今 私自身がまず振り返ってみて
どうだったのかと言うと
毎日本当に良く笑った日々だった

楽しい日々が過ごせたことを
実感している。


勿論、体力的にも精神的にも
すごく大変な事があったのは間違いない


しかし結果的に楽しい日々の
思い出となっている

なぜ そう思えるのだろうと

なぜなのか…

まず叔母が亡くなってから
私が感じた事は
よく体力的に倒れなかったな 
という事だった

どれだけ疲れが溜まっていようと
日々、叔母と向き合う事に
全力をかけれていた

そんな根気が元々私にあったわけではない

そうさせる何かがあった
私を動かしたもの


何なのか…

叔母の死後 再度向き合うきっかけとなった

私と叔母

冒頭でも言ったが 病院の通院も含め、
約10年ほど
付き添い、看護、介護をした。

叔母は、亡くなる7年前 
スキルス性胃がん(ステージ4~5)
余命1年と宣告された。

この時から、私と叔母の
それまで以上の濃密な日々が始まる

それと同時に、よく笑いあった日々の
始まりでもあるのだ

胃の全摘出の手術をした後、
お腹の傷が車のベンツのマークに
なっている事に対して
病室でめったに笑わない主治医と大笑いした

普通はまず笑えるような出来事では
ないのではと思う

全摘出の手術をしたところで
余命が変わることはほぼ無いのだが
その後の検査もパスをしていき
叔母は仕事にも復帰していた。

主治医も信じがたいと言われていたが
手術から5年の歳月が経とうとしていた

勿論、検査はずっと続いていた

主治医が驚きながらも、
5年間(ガンの)転移が無ければ
卒業だと言われて
先ずは無事卒業の日を迎えれた。


主治医が前例があまりにも無さ過ぎて
何も言えない…(笑)と言い
叔母と3人で笑った。

本当に、ホットした瞬間だった

ここまで命が無いはずの人が生きている…
生かされている

笑い 喜ぶ 以外何も無かった

しかし、叔母にとっては
まだ生かされているという事は
何かまだ役目があるのではと思っていたのだ



卒業が決まった矢先の定期検査の結果
まさかの異常な数値が見つかった


更に詳しい検査が始まり

胃がん再発…


胃がんからの腹膜転移が見つかった


再発の少し前から
認知症も少しずつ進行していた

認知症は、
長年の抗がん剤投与の副作用に
よるものだった

当時、叔母の実年齢は76歳だったが薬により
痛めつけられた体年齢は
百歳を超えていたのだ


再発、腹膜転移が分かった時点で
もう手の施しようが無く
抗がん剤治療をしても
完治することは難しい現状だった。


親族に説明をし、相談の結果これ以上の
投薬治療をしていく事を断念した。

その代わり、
在宅治療に切り替え
ターミナルケア(終末医療)を
していく事に決めたのである。

ターミナルケア(終末医療)
とは

ターミナルケア(終末医療)とは
ホスピス(病院に入る場合は)と同じで

延命や治療(病気を治す事)が
目的ではなく 

痛みの緩和(身体的苦痛)、精神的苦痛の
軽減を目的とした治療である

その人自身の一番良い生活
残りの命を本人らしく過ごさせてあげる
その人の人生を大切にする事
(クオリティ オブ ライフ)
を目的とした医療のことである

再発後

再発してしまった事で
医師から余命半年という期限が告げられた

私は 認知症、介護、看護、
ターミナルケアの事を勉強した

とにかく叔母には、穏やかに過ごしてもらいたい一心だったので

毎日笑って楽しくしていこう
私に気を使わせないようにしよう

これをしてはダメと否定するような言い方はしないでおこう
少しの体調の変化も見逃さない様にしよう

を心がけ 今まで以上に
気を配る日々の始まりになった

今後、体力の減退等を考えると
物を口から食べれなくなっていく事は
明確だった

だから少しでもまだ元気な内に
中心静脈ポートを入れる事にした

中心静脈ポートとは

食べられなくなった時の
栄養点滴や薬の点滴などを
投与する為に

肩と胸の間の皮膚下に
埋め込む点滴の針を差し込む器具である

栄養点滴も週1回から始まり、
週2回、週3回、毎日と

点滴の回数、点滴時間、
点滴速度も変わっていった。

叔母は 点滴の管をハサミで切ったり、
針を自分で抜いてしまったり
ハプニングも絶えなかった

しかし、その都度笑って対応したら
叔母も笑って点滴の付け替えもさせてくれた


体調と共に認知症もどんどんと進んでいった

しかしそれと同様に
心配りや、思いやりも 

どんどんと増していったのだ

側で感じ続けていた 心

エピソード1

ある日、朝ドラ(NHK)を一緒に
叔母の部屋で見ていた

認知症も進んでいたので
もうテレビを見ているという認識は
あまりなかった

そんな叔母は 
急に寝ていたベットから立とうとした

トイレでも行くのかと思い私も動き出した時

叔母は 朝ドラのテレビの中で泣いている
女の人にハンカチを差し出したのだ

そして私に、このハンカチあの子に
渡してあげて と心配そうに言った

それを見て、私はなんだか嬉しくて
叔母の心の温かさに触れた気がした

心が温かく感じ笑顔と涙が出た

エピソード2

私は毎日叔母の部屋に置いてある
ソファーが定位置だった

毎日ソファーに座っている私に対して
1日に何度も何度も叔母は

自分のベット(一人用のベット)なのに
隅っこまで身体を動かし半分空けて
「疲れているでしょ 私の隣で休み」
と声をかけてくれる

優しさを惜しまずだしてくれていた

エピソード3

叔母の食事が部屋に来た時も
(食事と言ってもスープを少し飲めるか
 ぐらいの食欲だったが)
元気なもう一人の叔母が少しでも
食べてくれればと3食手作りのご飯を
部屋に持って来てくれていた

叔母は、どんな食べ物が部屋に来ても
何でも半分に分けてくれた
「食べー。半分こしようー」
と私に差し出してくれる

一日何回も何回も声をかけてくれて
分けてくれた

心の動き

ただただ叔母は日々優しかった
私はその気持ちに触れていられることが
嬉しかったのだ

私は叔母のそばで、何を感じ、何を気付き、何を学んでいたのだろうか

笑い合い 優しい気持ちの中にいても
やはり私の中で常に気を張っている

毎日家に帰ると本当に疲れがどっと出て
くたくたになっていることは明白であった

一日中、叔母の部屋から出る事なく極度に
神経を使っていた事もあり
肩こりもひどく 思っている以上に身体は
疲れきっていた

週4日叔母の所へ行っていたのが
週5日になり
24時間点滴になってからは週7日 毎日
朝5時過ぎには家を出て夜10時~11時頃まで
叔母の部屋に籠る日々が続いた

しかし、疲れていても常にその日の反省や
明日の事

今 何が出来るだろうか
何を用意したらいいだろうか
どうすれば喜んでもらえるかを

いつも考えていた
考える事によって 日々過ごせる事が
出来たと思う

なぜかそう思わずにいられなかったのだ

叔母の部屋にいて私自身の
心が曇ることが無かった事も大きい

叔母は私に対して毎日
明るくニコニコしてくれて

事あるごとに
「ありがとう」
「ありがとうね」と丁寧に
言ってくれる

心からの「ありがとう」に毎日救われてきたのだ

認知症もかなり進んできて
誰が誰でという事が
ほぼ分からなくなっていた

私が何故叔母の部屋に居てるのかも
分かってない様子だった

食べ物もどんどん食べられなくなっていき
癌の進行もゆっくりではあるが進んでいった

左胸部にも癌が転移し外から見てもわかるぐらいの大きさに腫れ出していた

呼吸も荒く意識もはっきりせず
ほぼ寝ている時間が多くなっていった

しかし「ありがとう」と ”微笑み”が
無くなることは無かった。


だから私の心は動かされ続けていたのだ

「有難う」と ”笑顔” の
先に あるもの

叔母は、今までの人生で常に

お礼と感謝の気持ち
持ち続けていたからこそ


自我(認知症になっても)が無くなって
最後まで消えることが無かった


心からのお礼の日々があったから
私は心を動かされ毎日を過ごせたのだと感じる


私が叔母に少しでも恩返しがしたいと
思えた事も
叔母が今まで私に向けていてくれた
日々の感謝が溢れていたから
だとも思った

当り前に感じれる事が、
当たり前に感じず

日々のお礼、感謝の気持ち、
人に対する思いやり

心配りをずっとし続けていたからこそ

自分ではどうする事も出来なくなった時
発揮できる

だから私も動かされた

叔母は訪問して下さっている主治医の先生、
看護師さんのことも
分かっていなかった。

しかし主治医の先生や看護師さんが来ると
「あぁ先生、有難う 
 今日も来てくれはったん。嬉しいわぁ」と
毎度伝える

お医者様も看護師さんも
「今日は体調どうですか?」
といつもの確認がはいる

誰が来られても来る直前までは
しんどそうにしていたり
ぼそっと「しんどいなぁ…」とか
「ここ痛いな…」と私には
声にだしていたにも関わらず

心配をかけたくない思いの強さから
「全然 大丈夫よ!ものすごく元気よ。
あなたは体調お元気なの?
あなたはご飯食べたの?」
と毎回のように聞き返す。

診察が終わるとお茶を飲まれていかれる
先生も看護師さんもホッとされる
ひと時だったようだ

勿論、主治医と看護師さんには私から
毎回現状は伝えていたことは言うまでもない

主治医も看護師さんが来てくださる回数も
増えていき

看護師さんに至っては、
亡くなる2か月間ぐらいは
婦長さんが専属の様に毎日来てくださっていた

接する時間が多い婦長さんは
叔母に会うと本当に元気を貰える
と言ってくださっていた

末期がんで終末医療を受けられている
沢山の患者さんのお家に行っているけど、
こんなに楽しく過ごせるお家は
他に無いのよ

とまで言ってもらえた
嬉しい瞬間だ。

後半は毎日、看護婦長さんがずっと
来てくださっていたが

最初の頃、交代で来ていただいてた他の
若い看護師さんが
婦長さんに最近(叔母の所)
行けてないから私のシフトに
入れて欲しいと頼まれたという事も教えてくれた


叔母に会えるとホッとする 嬉しい と
言ってもらえる
叔母の所へ来たいと言ってもらえる

こんな嬉しい事はない

私の看護、介護の悩みや疑問も何でも聞いて
的確なアドバイスをいっぱい下さり
力になってくれる

手作りの点滴カバーを作ってきてくださったり介護の試供品も
持って来てくださったりと

叔母の為に進んで教えて下さる
強い味方だった

叔母の対応が全て
叔母自身にとってのプラスに変わっていた



叔母の日々の「ありがとう」や「心配り」
相手にしっかり届いているからだと
実感した。



叔母の生き方は
他にも奇跡と呼べる事を残していた
叔母が亡くなってからわかることも

数か月後
叔母は夜、息を引き取った
眠るように

主治医と看護師さんがすぐに駆け付けてきてくれた
死亡確認などもろもろが済んだ後
主治医の先生が私に

今まで色んな患者さんを見てきた経験から
症状や痛みなどの予測がある程度はできる
その経験からここが痛むであろう箇所も
ほんとに痛まなかった
苦しまれなかった

乳がんの転移箇所も野球ボールほどの大きさまできていたので
腐ってくる(破裂する)のが当たり前なのに
最後までそれが無かったし

先生は、ありえない現状を見せつけられた
と話してくれた。

そして先生も、看護師さんが私に
よく頑張ったねと言う言葉と共に
ほんと楽しかったね~
良く笑ったしと
笑顔を私にくれた

叔母は、生き様を私だけでなく
主治医の先生や看護師さんにまで
見せていたのだ

生き方

人は生きてきた様に 死んでいく

生き方が大切なのだ
不平、不満、愚痴、不足
をいうのではなく

お礼、感謝、心配り、笑顔を
心に置いて過ごしていくことこそ


本当に動けなくなった時 病気をしたとき
けがをしたとき 自分の自我が無くなった時

何倍にもなって
自分に返してくれる



日々の感謝を持ち、喜べる事、
喜ぶ事を見つけていく


スキルス性胃がんになり余命1年が
5年まず伸びたことで
叔母がまだ何か役目があるのか…と
言ったことに対して
私にも周りにも教導の為なのかと思う



たった一人の 人にでも
生き方に対して向き合って欲しい
願いを込めて
叔母の話を伝えたい

追記 エピソード0

叔母からの最後のお礼

いつも通り、服を着替えたり、
口の中を湿らせ 磨いたり

身体を拭いたり 床ずれが出来ないように
体の向きを変えたり

点滴を交換したり 
乳がんの傷のガーゼを変えたり

日々の私の動きに対して
「ありがとう」の言葉は貰っていた。

このころの状態は、意識がはっきりしない日も
多く 起きている事も少なく
しゃべることもほとんどなく
一日数回 ちょっとだけ 
ニコッとほほ笑むくらいの状態だった。

叔母が亡くなる1週間前の昼間
寝ているベットから私を呼んだ

私はのどが渇いたのかなと思い
スポンジに水を含ませ
口をぬらす程度なのだが
用意をすぐさまして
叔母の横まで行き

「何か飲む?喉かわいた?」と聞いた

そうしたら叔母は
私の名前を呼んで

「ありがとうなぁー、 ありがとうなぁー」

とゆっくりとした 優しい口調で言った。
私の頭をなでて 背中もさすりながら。

生まれてきてから 
色んな「有難う」を叔母から
言ってもらってきたが

今までにない本当に
一番優しい笑顔と声だった。

涙が溢れ出そうだったが必死で堪えた
お別れのあいさつの様に聞こえたから
尚更 必死でこらえた


本当に 嬉しかった
一緒に過ごせてよかったと心から感じた


私は叔母との事で私もこんな風に
生きたいと願う

まだまだ足りなさすぎる日々だが
取り組みたい


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